植物博士の文章錬成所

小説で植物の情報を伝えていく!(それ以外の記事が立つこともあります)

32.ライラック

 

アナスタシア区は花の街だったという。
極寒たる帝国メガロポリスの春夏は短く、ガラス温室をも潰す豪雪地帯すら存在していたが、それでも露地の植物達は子孫繁栄のチャンスを逃さなかった。季節が廻れば花を咲かせ、茎を伸ばし、葉を広げ、根を下ろし、この世界と御自らの隣を歩く動物達に貢献するのだ。
「お花いかがですかー?」
「春らしい花はないかな。」
 アナスタシア区は花の街だったという。
そんな花の街も、花屋と言えば今や1件だけになった。
飽き易い帝国民にとって、水を替えたり捨てたりしなければならない生花(なまばな)とはペットショップよりも尚ウケず、個人よりも法人に売り込む方が稼げるジャンルだったから、みんなオンラインショップの卸に回って行った。つまりリアル花屋なんて全く儲からないが、こうして買いに来る人が居るのだから、続けて良かったと店員は思う。
「春らしい花…明るい感じがいいですか?」
「いや、落ち着いた感じが良いかな。紫と白とか…?」
 紺色のスーツで身を固めた、髪の長いお兄さん。
毎朝同じ時間に此処を通って花を買いに来る彼は、黄鉄鉱色の壁とデスクワーク用品しかない職場に花を飾るのだとか。だが、一体何処で働けばそうなるのか。男らしさも感じる冷たい顔立ちと、髪と同じ黒い瞳は店員には確かに怖かった。それでも花を通した付き合いを続けていると、女は彼の頭に小さなポニーテールを作る様になり、男はほんの少し変わった顔周りと毎回変わるヘアゴムに微笑む様になった。
「できた!…あ、そうだ、ラッキーライラックあるかな?」
「ラッキーライラック?」
ライラックの花弁は4枚、でも、たまに5枚の花があるの。
 誰にも言わずに飲み込むと、愛する人と永遠に結ばれるんだって。」
「それを言ってしまっては“おしまい”なのでは…?」
「いいの。わたし、すきな人居るから。」
 アナスタシア区は花の街だったという。
百花繚乱という言葉しか合わないその綺麗な見た目に惹き込まれて、その本当の理由を知ろうとする者は中々居ない。綺麗に敷き詰められた石畳の下には何かが眠っている。
「そう言えば昔、此処で事故があったらしいな。」
「あのね、戦争が起きるちょっと前まで、
 ここ、煙と建物がいっぱいだったの。
 でも、真夏なのに雹が降った日に、全部燃えちゃって。
 お骨を輸送できないぐらい、沢山の人が大地に還ったの。
 それで、生き残った人達が、ライラックを植えたの。
 一緒に燃えた人達が、少しでも安らぐ様に。
 これからを生きる人達が、少しでも明るくなれる様に。」
生き残った人々は、その場で処理した死体と土の上に、沢山の花木を植えた。或る人は草花を、或る人は球根を、或る人は香り高い木を。今では白色の街路樹が記念館へ、薄紫の街路樹がメインストリートへ、その甘い香りと共に誘うという。
 アナスタシア区は花の街だったという。
話しながら花屋の店員は奥のフラワーキーパーから、山なりに小さい花の咲き誇る枝を数本持って来て、然るべき処置をしていく。根元を水中で斜めに切って、濡らしたティッシュとアルミホイルで覆う。花は直ぐ活けられるので包装は簡単に。
「これでいい?」
「ああ、良い香りがする…ありがとう。」
お代は規定通貨(ルブレ)と、お客様の貴重な微笑みで。
御贔屓さんのお帰りを見送りながら、店員は今日の彼の幸せを祈った。
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私の周りでは余り見かけませんが、とても良い香りがするのだとか。それはモクセイ科という所から理解出来ます…もちろん香らない花もあると思いますが、みんな大好きキンモクセイとは親戚ですね。
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参考ホームページ
https://horti.jp/1491
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CAST
・アナスタシアのルスラン
・アナスタシアのサラ